HSPなのに勇気を出してマッチングサイトで婚活をし、4人の男性に会ってきました。
【HSP婚活失敗体験パート2】自己肯定感が低いと出会うダメ男
【HSP婚活失敗体験パート3】またもやダメンズ4人目はちょっと見エリート
【HSP婚活失敗体験パート4】モラハラ・浮気・借金強要しながら逆ギレの最強ダメンズを引き寄せる
今回は婚活により身も心も財布もボロボロになった後から、今のだんなさんに出逢い結婚するまでをお話しします。
皆さまの幸せのヒントになれば幸いです。
出来事が多いので年号を入れて分かり安くしました。
- 引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
- 古武術道場に入門【2013年】
- セラピーサロンを開店【2014年】
- 結婚相手に出逢う【2014年】
- いきなり結婚【2015年】
- 引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
- 古武術道場に入門【2013年】
- セラピーサロンを開店【2014年】
- 結婚相手に出逢う【2014年】
- いきなり結婚【2015年】
- 引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
- 古武術道場に入門【2013年】
- セラピーサロンを開店【2014年】
- 結婚相手に出逢う【2014年】
- いきなり結婚【2015年】
- 引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
- 古武術道場に入門【2013年】
- セラピーサロンを開店【2014年】
- 結婚相手に出逢う【2014年】
- いきなり結婚【2015年】
引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
薬にたよらなくちゃいけないなんて
年下男と別れた後、わたしの体はボロボロになっていました。
めまい、手の震え、下痢、突然の花粉症。
仕事にはなんとか行けていましたが、夕方になると激しいめまいに襲われていました。
仕方なくクリニックに行くと不安や緊張を緩和する薬が処方されました。
え?わたしって、そんなにメンタルが弱ってしまったの?
そんな薬にたよらなくちゃいけないほどにまでなってしまったの?
お金だけじゃなく体までボロボロになっちゃったの?
とてもショックでした。
今まで仕事を休まないくらい健康には自信があったのに…。
(HSPの責任感気質から「休めない」とがんばり過ぎてしまったため、結果、心が折れたんですけどね…笑)
精神的な病気の怖さを年下男でまざまざとみていたので、「これはイカン!」と感じました。
「このままじゃダメだよ!」
と自分の奥から湧き上がるものを感じ、自分を奮い立たせました。
エドガー・ケイシー療法が合っていた
「薬に頼らず、まずは自力でできることをやってみよう!」とネットや図書館で自然療法について調べていくと「エドガー・ケイシー療法」に出会いました。
エドガー・ケイシー(1877年~1945年)は優れた霊能力者で、催眠透視により病気の治療法や、科学、経済、生き方のアドバイスを記録に残るものだけでも14,000件以上も行ってきました。
現在でも有名なエドガー・ケイシー療法として、「ひまし油湿布」や「りんご断食」「腸内洗浄」などがあります。
エドガー・ケイシーのドキュメンタリー映画「THE READINGS リーディング」(2018)は新たな目覚めを促すというコピー通りの映画でした。
わたしはエドガー・ケイシーのアドバイスを実践しました。
必要な道具を買いそろえ、自分でひまし油湿布をお腹にあて、なんと、自分でノズルを肛門に差し込み(失礼!)腸内洗浄までやりました。
また、「そんな食事で大丈夫?」と言われ、変な目で見られながら、りんご断食をしたり、パセリやセロリ、にんじんばかりの食事療法を実践しました。
すると!
しだいに体調が良くなっていったのです。
下痢はいつの間にかなくなり、めまいも減っていきました。
わたしの場合、このやり方が自分の体に合っていたようです。
(体質は人それぞれ。このやり方がすべての人に合うわけではありません。今までいろいろな健康法を試しましたが、合わないものもありました。
健康法は自分に合うものを見つけることが大切です!)
スピリチュアルや心のあり方に関心を向ける
体調が良くなるとそれに合わせるように、気分の落ち込みもだんだん減ってきました。
このことは、とても面白い発見でした。
体調を整えることでメンタルに良い影響を与えることに気づきました!
そのようなことから、自然療法は体だけでなく、メンタルにも効果があるのかもしれないと気づきました。
エドガー・ケイシーがきっかけで、もともと興味のあったスピリチュアルや心のあり方に興味がますます向いていき、そのような本を読みあさるようになりました。
引き寄せの法則、バシャール、斎藤一人、中村天風、小林正観などなど…。
また、朝6時からの「心の在り方」を学ぶ活動にも参加し始めました。
(HSS型HSPなので、やるときはやるんですよ。
だけどアドレナリンが出過ぎてしまい、長くは続けられませんでした。
無理は禁物です!)
HSPさんはスピリチュアルなこと、精神的なことを深めていくと、とても穏やかに過ごせることが分かっています。
(このときのわたしはHSPの知識がありません。HSPを知るのは2017年になってからです。
もっと早く知っておきたかったけど、知ることができて良しとします)
「心の在り方」学ぶにつれて、わたしはだんだんとボロボロになった心に、やすらぎと希望を取り戻し始めました。
自己否定感がかなりやわらいでいました。
色々大変だったけど、それはわたしを成長させる経験だったんだ…。
あの経験(年下男とのトラブルやお金を貸してしまった、自分の気持ちを伝えきれなかった後悔など)があったから、今の自分があるのだと少し思えるようになってきました。
心のケアについても学び始める
さらに、心のケアについても学び始めました。
わたし自身が深く傷つき、体調を崩してボロボロになった経験。
そこから体調を整え、少しずつ幸せを感じられるようになってきた経験。
それらにより、メンタルケアに関心がわいてきました。
精神科の先生が書いた本や、カウンセラーの本も読みあさりました。
ある婦人科のお医者さんの記事で、心のケアにより婦人科の病気が改善した話を知りました。
そのときに、ふと、思い出したことがあります。
エステティシャン時代のこと。
「痩せてきれいになりたい」とエステに入会した女性がなかなか痩せられなかったことがありました。
今でもその女性のことはハッキリ覚えています。
きちんと決められた週2回の来店で、エステのケアを受け、食事ノートもつけていただいているのですが、体重もサイズもなかなか減らないのです。
ご自分の事は多く語られませんでしたが、体がパンパンに硬かったので、ストレスのかたまりだったのでしょう。
エステマシーンやマッサージを駆使しても効果があまり出ず、ご本人もスタッフも「どうしたものか?」と困り果てていました。
きっと、この女性の心に悩み事や問題があり、心が重く、固くなっていたのでしょう。
悩みがあると筋肉が緊張し、体の血流がわるくなり、毒素もため込んでしまうのです。
メンタルになにか重いものを抱えていたから効果が出ずらかったのです。
おもしろいことに、男性のお客さんはすぐに痩せていく人が多かったように思います。
理由はおそらく「女性エステティシャンとの会話」によって、知らず知らずのうちにメンタルが癒されたのだと思います。
仕事のストレスや、女性に対するコンプレックス、そのようなものが女性エステティシャンと話すことでほどけていき、男性はすぐに効果が出る人が多かったのでしょう。
(一概に男性と言っても個人差がありまして、気難しい人や心がかたくなな男性はやはりなかなか痩せませんでした)
そのような経験から、体を健康に美しく保つためには「メンタルを整えることが大切」だとエステサロンに勤務しているときにすでに気づいていたのです。
そのことを婦人科の病気が改善した記事を読んで、思い出しました。
メンタルケアを仕事にしていこうと決める
「わたしはメンタルケアを仕事にしていくんだ!」
この時そう決意しました。
カウンセラーの仕事内容、キャリアイメージ、通信制の大学、費用などをすぐさま調べ始めました。
そのころ、知り合いのスピリチュアリストに「メンタルをケアする仕事をしたいと思っている」と相談したところ、「カラーセラピーがいい」とアドバイスを受けました。
カラーセラピーなど考えたこともなかったので、また別のスピリチュアリストに相談してみると面白いことに「カラーセラピーが見える」と言われました。
2人から言われたので、「そんなに縁があるならば」と、将来仕事にすることをふまえ、カラーセラピースクールに通い始めました。
学費は安くはありませんでした。
貯金は年下男に取られてただでさえ乏しかったのに、「やろう!」と覚悟を決めて申し込みました。
そのスクールでは単にカラーセラピーのカウンセリング技法と知識を学ぶだけではありませんでした。
チャクラ、瞑想、エネルギー、色のエネルギー、オーラについても学ぶようになり、直観力が身についてきました。
アロマを用いて瞑想用の音楽をかけ、心地よい感覚を味わいました。
本格的にスピリチュアルなこと、カウンセリングスキルやメンタルの事を学びました。
おもしろかったのは、学びながら自分自身と向き合う機会が多くあったことです。
ますます自分の内側を見ていくことになりました。
おかげで、過去の数々のダメンズとの出来事や、子供の頃の悲しい記憶、仕事でのツライ体験も、ただの辛い経験ではなく、わたしにとっての学びとして受けとめられるようになっていきました。
仕事のためにカウンセリングを学んだのに、わたし自身がすっかり癒されていったことに驚きました。
重かった感情、ネガティブな感情が消えて、穏やかな希望の中にいるような気がしました。
生まれ変わったような感覚でした。
まわりからも「きれいになったね」「いいことあった?」と言われるようになってきたのです。
古武術道場に入門【2013年】
そのような時、ホリスティック医療についてのイベントに出かけました。
主に自然治癒力を高めることを目的としています。
治療法も西洋医学、東洋医学に限らず患者さんに合った治療法を患者さん自身が選択し、単に「病気ではない」「病気を治す」ということだけでなく、人として幸せに生きる道を示す医療だと私は考えています。
自分自身の体調不良や、両親が難病にかかっていること、もともとエステ業界で体のケアに興味があったことなどから、ホリスティック医療につよい関心を持っていました。
スピリチュアルなこと、メンタルのこと、からだのこと、すべてがわたしにとってつながっていたのです。
そのイベントで、わたしはあるセミナーを聴き、衝撃を受けました。
この言葉にガーン!と雷に打たれたような気持ちになりました。
このお話をしてくださったのは、現役の医師でもあり、大東流合気柔術(古武術の一つ)壱風館の館長でもある松村浩道先生。
「これをやりたい!」とピン!と来て、すぐさま直近の朝稽古のある日に入門を願い出て許されました。
それから週に2回、合気柔術の稽古に通うようになりました。
先生のお人柄で稽古自体も穏やかで、通うペースは個人の自由でした。
強制されることも、先輩から厳しくされることもありません。
学生時代の体育会系の窮屈さがイヤで仕方がなかったわたしでも、稽古にはとても気持ちよく通えました。
なにより、稽古はわたしにとって自分軸を意識するのにとても役に立ったのです!
体を使う稽古なので、技をかけたりかけられりたりします。
柔道のように投げられたりしますから、それは最初のうちは少し怖かったですが、すぐ慣れました。
身体を動かしながら、自分の丹田の感覚、肚(はら)の感覚が出てくるのです。
中心の感覚、自分軸の感覚ともいえます。
ある時、稽古のまっ最中に、ふと
「周囲がわたしになにか不快なことをしかけてきても、自分軸さえしっかりしていれば、誰にもわたしを侵すことはできない」
と感覚的にわかってしまったのです。
稽古を続けたおかげで自分軸についての意識がハッキリとしてきたのでした。
そのおかげもあり、会社員をやめて独立することを決意しました。
「わたしがやりたいことはカウンセリングやコーチングなんだ!」とハッキリ本当の自分の望みを知ることができたのです。
とはいえ、わたしはHSPなので、辞めるまでは「あーでもない、こーでもない」とモヤモヤした時期がありますが、前回のエステの会社を辞めるときよりもスッキリ決断できました。
セラピーサロンを開店【2014年】
2014年にとうとう、世田谷区で念願のセラピーサロンを立ち上げました。
エステティックとボディケア、カウンセリングとヒーリングを融合したサロンです。
お客さまは女性と男性が半々です。
わたしがHSPというものをはじめて知ったのは2017年です。
そしてHSP専門のカウンセリングを始めたのが2019年、
HSPナチュラルガイドという現在の体系にまとめ始めたのが2020年、
そしてオンラインでHSPナチュラルガイドのセッションを提供できるようになったのは2022年のことになります。
エステの会社にいたころは、独立するなんて考えたこともありませんでした。
しかし、数々の仕事や恋愛、お金の苦い経験から、「やりたいことをやろう」という勇気をもらい、独立するという目標をみつけて引き寄せの法則を実践した結果でした。
カラーセラピーに、わたしなりの引き寄せの法則や自分軸づくりの経験を合わせたカウンセリングとヒーリングとセラピーの融合したサービスを提供しました。
セラピー中は不思議なことがよく起こりました。
イメージや言葉がポンとどこからともなく飛んでくるのです。
そのことを伝えると、クライアントさんは涙がワッとあふれて浄化される、ということがよくありました。
このような経験から、見えないものへの信頼感や大いなるものからのメッセージをじょじょに積んでいきました。
求めれば必要なメッセージをくれるんだと思えました。
今思うと「HSPなのによくカウンセリングにチャレンジできたなあ」と思う時があります。
基本的に人に会うのは気を使い過ぎてしまうので疲れるのです。
カウンセリングの仕事では初めて会う人も多く、最初はとても緊張しました。
ですが、ひとたびカウンセリングが始まると集中力が不思議と高まるのと同時に、とてもリラックスしていました。
終わった後もあまり疲れませんので、続けて何人もできるから不思議です。
「カウンセラー業が天職なのかも?」と思えるほどです。
チャレンジしてよかったと思えました。
自分に合うかどうかは、やってみなければわからないものですね。
自分の直観を信頼する
このころからわたしは自分の直観を信頼するようになっていました。
具体的にどう変わったかというと、興味のあることに取り組むようになりました。
以前はなにかにピン!ときても、「お金もかかるし…」「忙しいから…」とすぐに取り組めなかったことが多かったのです。
ワクワクした気持ちが芽生えても、「でも…」と言ってあきらめていました。
しかし、あきらめるのをやめました。
ピン!ときたことを大切にするようにしたのです。
そうすることによって、人生がダイナミックに動き始めたのです。
結婚相手に出逢う【2014年】
道場仲間
会社を辞めたことで、稽古に充てる時間が長くなりました。
自分の好きなことに時間を充てられるっていいですね。
会社員時代は出勤のため午前7時には朝稽古をあがっていました。
退職したことにより、午前8時まで目いっぱい稽古をし、稽古後に道場仲間とドトールやマックで朝食を食べながらスピリチュアルなこと、氣のこと、稽古の事など、いろいろ会話をする時間が出来ました。
そのおしゃべりのメンバーに仙人ふうの将来のだんなさんもいたのです。
将来のだんなさんとなるその男性は、わたしと同じ日に入門したいと道場に来た人でした。
なんと、先日のホリスティック医療のイベント会場にいて、同じセミナーを聴き、わたしと同じように感動してすぐに入門しようと決意したということでした。
作務衣を着ていて仙人のようなひげをたくわえ、気功の体操をしている…。
経営コンサルタントをしているとのことでしたが、一般的に見るようなスーツをバリっと着こなして、シュッとしているような見かけではなく、お腹が大黒様の様に出ていて、ひげをたくわえ、仙人か宗教家のような容貌。
さらに、見ため通りに中身も変人でした。
悪気はないのですが口が悪く、人をいじるのが趣味で、ちょっと苦手なタイプでした。
稽古の時もめんどくさい事ばかりいうので、なんとなく一緒に稽古をするのが嫌でした。
ですが稽古後に話してみると、意外に面白い人だということが分かりました。
スピリチュアルなことをずっと探求していて、真冬の滝行(密教の修行で滝に打たれてマントラを唱える修行)までしていること。
離婚を2回していること。
都内で起業した会社を株式公開の一歩手前までもっていったけれど、組織の管理に失敗して破産したこと。
どん底貧乏時代があったこと。
今もお金がそれほどないから学生もいるシェアハウスに住んでいることなどを、あっけらかんと話してくれるのです。
頭がよく、人生経験豊富で、失敗してもめげない、明るい人だと思いました。
そこからいい友達になっていきました。
ある日、稽古後のドトールで。
稽古仲間で会話しているときに、将来のだんなさんが「自分は63歳で死ぬ予定だ」と言いだしました。
「自分はやりたいことを好き放題、今までやってきた。もうやりたいことが残っていない。だから60歳で地元、北海道の雪山に入ってクマに食われて向こうの世界に旅立つ予定でいる。だけど松村先生(道場の師範)に出逢ったのでそれを3年先に延ばして63歳で旅立つ予定だ。」
そんなことを言ったのです。
当時、だんなさんは57歳。
まわりの人は「またあ~」と笑ってまともに聞いてはいませんでしたが、わたしはなんだかとてもかわいそうに感じました。
とても孤独な人なんだと感じました。
解散した後も気になり、ラインを送りました。
「ひとりで旅立つのはあまりにもさびしいので、大浦さん(だんなさんのこと)が山に入るその時は、わたしがエネルギーで旅立ちを見送ります。」
一人で山に入って旅立つなんて、本当にさびしいことだと思ったから。
おそらくそれがきっかけで、二人の間に潜在意識レベルで、つながりのようなものが芽生え始めたのだと思います。
もう婚活なんて要らない
道場の先生のビジネス関連の事で、5人くらいのチームができた時もだんなさんから誘われました。
わたしの仕事は先生が講演する際のヘアメイク係。
先生は講演する機会が多かったので、わたしは講演先にドライヤーやメイク道具を持って先生の身だしなみを整えました。
その時はいつもだんなさんが近くにいました。
19歳も年上でしたが、スピリチュアルの感性も同じだし、なんにでも感謝して楽しんで暮らすというような考え方も合いました。
そういったことで話す機会もぐっと増えていきました。
わたしはその頃は自分のサロンの仕事に夢中になっていました。
朝活や異業種交流会などもがんばって行くようにしていました。
経営についての勉強や、宣伝活動、スキルを磨くこと、日々の営業などで必死でした。
この間も人生に彩りを添える程度の軽い恋愛はいくつかしましたが、「だれかと結婚したい」なんて1ミリも考えつきませんでした。
起きてから寝るまで、ほぼ仕事づくし。
しかも、やりたいことを始めていたのでわたしはとても満足でした。
やりたいことをやっている充実感。
軌道に乗るよう、はりきっていました。
ですからその頃は「もう結婚しなくてもいい」と考えていました。
「誰かに幸せにしてもらおうと思っていたけど、その必要はない。
わたしがわたしを幸せにする!」
という具合に、結婚にまったく興味がなくなりました。
ですが、その頃、突然わたしにモテ期がやってきたのです。
男性からひんぱんに誘われるようになりました。
仕事以外は相変わらず道場へ稽古に行ったり、本を読んだりして自分を見つめていました。
カウンセリングの仕事はとても充実感がありました。
誰かの癒しのサポートができることにわたしは喜びを感じていました。
愛し愛される関係を手に入れたい
ある時、稽古仲間のスピリチュアリストに「願いをかなえるワーク」を勧められました。
「毎晩眠る前に紙に100個の願いを書き出し、それを続けると願いが叶う」というものでした。
「へえー、おもしろそう!」とさっそくその日の夜から書き始めました。
お風呂上りに紙と鉛筆を用意し気持ちを落ち着けて椅子に座ります。
そして、手あたり次第書きだしていきました。
たとえば、こんな具合です。
・お客さんが予約待ちになる
・ヘルシーできれいな体が手に入る
・両親の病気が全快する
・タワーマンションにセラピールームを開く
・ポルシェに乗る
などなど…。
かなり、欲にまみれた願いもありましたが(笑)、がんばって100個書いてみました。
次の日もまた次の日も書き続けました。
このころは、たまたま、引き寄せの法則も実践していて、なんだかイマイチ現実が引き寄せられないなあとモヤモヤしている時でした。
するとパーツ心理学というセッションを受ける機会があり、本当の自分とその願いを発見することができました。
ほんとうの私が願っているものはというと…。
「愛し愛される関係を手に入れる」というものでした!
ガビーン!
結婚には興味がなかったけれど、「愛し愛される関係」をわたしは望んでいたんだ!と気づいてしまったのですね。
わたしがのぞんでいるものはこれだったのか…。
結婚でもなく、「愛し愛される関係」…。
たしかに思い返すと、心の奥底では寂しかった自分がいたことを思い出しました。
だれかを愛したい。
そして愛されたい。
そのことに気づいてしまいました。
それから100個の願いを書くときに最初に、「愛し愛される関係」と書き入れるようになりました。
毎日書いていくうちに、だんだんと100個も書けなくなっていきました。
「愛し愛される関係」がとても重要で、それ以外はどうでもよくなってきたのでした。
「ポルシェに乗る」なんて、すぐさま消えました。
じょじょに願いがしぼられていきました。
いきなり結婚【2015年】
突然の告白
そんなある日の事、だんなさんから「ジンギスカン食べない?ごちそうするよ」と誘われました。
すでに道場の外でも仲良くなっていたので、わたしは気軽にOKし、出かけていきました。
(ここからは「将来のだんなさん」ではややこしいので「だんなさん」でいきます)
だんなさんは徹夜明けの仕事がやっと終わったので、一睡もしないままのハイテンションの打ち上げのお祝い気分でジンギスカンを食べようと思ったそうです。
かといって誘う人もいないのでわたしを誘おうと思いついたとのこと。
とにかくさみしがり屋なのです。
店はだんなさん行きつけの、大久保駅前の繁華街にある、カウンター席が5、6席くらいの狭くて油まみれの汚いお店。
夕方の早い時間でしたが、わたしたちの他にも若い酔っ払いグループが大音響で騒いでいて、話をするのには、お互い、かなり近づかないと聞こえないほど。
だんなさんは徹夜明けでしたのですぐに酔っぱらってしまっていました。
わたしは夜に仕事の予定があったので、早めに上がることになっていました。
ジンギスカンをお互いにお腹いっぱい食べて「お先に帰ります。ごちそうさまでした。」と、帰ろうとしたとき。
その時、周りの酔っぱらいが大騒ぎしているなかで、だんなさんが突然こう言ったのです。
「恋人にならない?」
もともと、恋愛の雰囲気などふたりともこれまでみじんもない友だちでした。
ところが次の瞬間、わたしは自然に「いいよ」と答えてしまっていました。
その後、カウンター席に座っているだんなさんを背中から優しく抱きしめ、お店を出ました。
後から考えると、よく考えもせず「いいよ」と言ってしまっていたことに気づきました。
ですが、不思議とイヤではありませんでした。
翌日わたしは、沖縄に行くことになっていました。
沖縄でスピリチュアルイベントが行われるのでそれに参加していました。
沖縄の海岸で太陽でキラキラ輝く波を見ながら、昨日のことを考えていました。
「恋人にならない?」
「いいよ」
不思議でした。
無意識に答えてしまっていました。
そんなことを考えていると、だんなさんからラインが届きました。
「昨日ああいったのは、自分は寂しかったんだと思う」
正直な気持ちを聞いて、「キュン」としてしまいました。
二度の離婚で、彼女をもったり結婚などには全く関心のない人でした。
あとで考えてもどうして「恋人にならない?」という言葉が口から出たのか、不思議でならないそうです。
「恋人になる気持ちは変わらない」
そう改めてラインで返しました。
沖縄から戻ると、品川駅までだんなさんが迎えに来てくれました。
それから、まめにだんなさんはわたしの部屋に来るようになりました。
おつきあいゼロでいきなり結婚
それから一か月後、道場の先生のビジネス関連のミーティングをわたしのサロンを会場にして開くことにしました。
その準備をだんなさんと二人でしている際にこんなことを言い出しました。
「ミーティングで婚約したって発表しちゃおうか?」
付き合ってまだ一ヶ月でしたが、「それもいいかな」と不思議と思えたので同意しました。
そして、道場仲間3人と先生に「婚約しました!」と発表。
皆さん大変驚きました!
それはそうです。
だんなさんは変人でバツ2ということは皆さん知っているし、わたしは初婚。
年齢差19歳。
先輩の一人は「また~、僕をだましているんでしょ?」と信じてくれませんでした(笑)
また別の先輩は「アセンションだ!」と叫びました。
結局皆さん、「道場から愛が生まれた」と祝福してくれました。
そして、付き合って1か月で結婚することになったのです。
ほんとうの自分を知り、本心の願いが「愛し愛される関係」だと知ったこと。
「願うワーク」でそれを明確に願ったこと。
さらに引き寄せの法則を使って「愛し愛される関係」にすでに包まれていると感じながら過ごしたこと。
これらによって、だんなさんとの結婚を引き寄せることができました。
わたしの方もだんなさんに引き寄せられてしまいました。
しかし、このときはまだ、「愛し愛される関係」にはいたっていませんでした。
それはそうです。
まだちゃんと、おつきあいしたことがない人なのです。
だんなさんとの「愛し愛される関係」に至るストーリーがここから始まったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
“生きづらい”にさよなら。
HSPに生まれてよかった。
そんな世界を目指します。
HSP用の引き寄せ・願望実現メソッド「HSPナチュラルガイド」
HSPさんが、ナチュラルな自分(ほんとうの自分)(魂の自分)で安心して幸せに暮らせるようにガイドします。
HSPさんの刺激を過剰に受けやすいという特徴を理解して、あなたのペースを大事にします。
(Natural Way1)HSPさんが未来の自分を五感(六感)で感じるようにガイドします。
(Natural Way2)HSPさんが未来の自分になりきるようにガイドします。
(Natural Way3)HSPさんが自分軸を確かにするようにガイドします。
(Natural Way4)HSPさんが自分軸を太く鍛えるようにガイドします。
(Natural Way5)HSPさんが生きやすいように自己表現スキルをガイドします。
HSPなのに勇気を出してマッチングサイトで婚活をし、4人の男性に会ってきました。
【HSP婚活失敗体験パート2】自己肯定感が低いと出会うダメ男
【HSP婚活失敗体験パート3】またもやダメンズ4人目はちょっと見エリート
【HSP婚活失敗体験パート4】モラハラ・浮気・借金強要しながら逆ギレの最強ダメンズを引き寄せる
今回は婚活により身も心も財布もボロボロになった後から、今のだんなさんに出逢い結婚するまでをお話しします。
皆さまの幸せのヒントになれば幸いです。
出来事が多いので年号を入れて分かり安くしました。
引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
薬にたよらなくちゃいけないなんて
年下男と別れた後、わたしの体はボロボロになっていました。
めまい、手の震え、下痢、突然の花粉症。
仕事にはなんとか行けていましたが、夕方になると激しいめまいに襲われていました。
仕方なくクリニックに行くと不安や緊張を緩和する薬が処方されました。
え?わたしって、そんなにメンタルが弱ってしまったの?
そんな薬にたよらなくちゃいけないほどにまでなってしまったの?
お金だけじゃなく体までボロボロになっちゃったの?
とてもショックでした。
今まで仕事を休まないくらい健康には自信があったのに…。
(HSPの責任感気質から「休めない」とがんばり過ぎてしまったため、結果、心が折れたんですけどね…笑)
精神的な病気の怖さを年下男でまざまざとみていたので、「これはイカン!」と感じました。
「このままじゃダメだよ!」
と自分の奥から湧き上がるものを感じ、自分を奮い立たせました。
エドガー・ケイシー療法が合っていた
「薬に頼らず、まずは自力でできることをやってみよう!」とネットや図書館で自然療法について調べていくと「エドガー・ケイシー療法」に出会いました。
エドガー・ケイシー(1877年~1945年)は優れた霊能力者で、催眠透視により病気の治療法や、科学、経済、生き方のアドバイスを記録に残るものだけでも14,000件以上も行ってきました。
現在でも有名なエドガー・ケイシー療法として、「ひまし油湿布」や「りんご断食」「腸内洗浄」などがあります。
エドガー・ケイシーのドキュメンタリー映画「THE READINGS リーディング」(2018)は新たな目覚めを促すというコピー通りの映画でした。
わたしはエドガー・ケイシーのアドバイスを実践しました。
必要な道具を買いそろえ、自分でひまし油湿布をお腹にあて、なんと、自分でノズルを肛門に差し込み(失礼!)腸内洗浄までやりました。
また、「そんな食事で大丈夫?」と言われ、変な目で見られながら、りんご断食をしたり、パセリやセロリ、にんじんばかりの食事療法を実践しました。
すると!
しだいに体調が良くなっていったのです。
下痢はいつの間にかなくなり、めまいも減っていきました。
わたしの場合、このやり方が自分の体に合っていたようです。
(体質は人それぞれ。このやり方がすべての人に合うわけではありません。今までいろいろな健康法を試しましたが、合わないものもありました。
健康法は自分に合うものを見つけることが大切です!)
スピリチュアルや心のあり方に関心を向ける
体調が良くなるとそれに合わせるように、気分の落ち込みもだんだん減ってきました。
このことは、とても面白い発見でした。
体調を整えることでメンタルに良い影響を与えることに気づきました!
そのようなことから、自然療法は体だけでなく、メンタルにも効果があるのかもしれないと気づきました。
エドガー・ケイシーがきっかけで、もともと興味のあったスピリチュアルや心のあり方に興味がますます向いていき、そのような本を読みあさるようになりました。
引き寄せの法則、バシャール、斎藤一人、中村天風、小林正観などなど…。
また、朝6時からの「心の在り方」を学ぶ活動にも参加し始めました。
(HSS型HSPなので、やるときはやるんですよ。
だけどアドレナリンが出過ぎてしまい、長くは続けられませんでした。
無理は禁物です!)
HSPさんはスピリチュアルなこと、精神的なことを深めていくと、とても穏やかに過ごせることが分かっています。
(このときのわたしはHSPの知識がありません。HSPを知るのは2017年になってからです。
もっと早く知っておきたかったけど、知ることができて良しとします)
「心の在り方」学ぶにつれて、わたしはだんだんとボロボロになった心に、やすらぎと希望を取り戻し始めました。
自己否定感がかなりやわらいでいました。
色々大変だったけど、それはわたしを成長させる経験だったんだ…。
あの経験(年下男とのトラブルやお金を貸してしまった、自分の気持ちを伝えきれなかった後悔など)があったから、今の自分があるのだと少し思えるようになってきました。
心のケアについても学び始める
さらに、心のケアについても学び始めました。
わたし自身が深く傷つき、体調を崩してボロボロになった経験。
そこから体調を整え、少しずつ幸せを感じられるようになってきた経験。
それらにより、メンタルケアに関心がわいてきました。
精神科の先生が書いた本や、カウンセラーの本も読みあさりました。
ある婦人科のお医者さんの記事で、心のケアにより婦人科の病気が改善した話を知りました。
そのときに、ふと、思い出したことがあります。
エステティシャン時代のこと。
「痩せてきれいになりたい」とエステに入会した女性がなかなか痩せられなかったことがありました。
今でもその女性のことはハッキリ覚えています。
きちんと決められた週2回の来店で、エステのケアを受け、食事ノートもつけていただいているのですが、体重もサイズもなかなか減らないのです。
ご自分の事は多く語られませんでしたが、体がパンパンに硬かったので、ストレスのかたまりだったのでしょう。
エステマシーンやマッサージを駆使しても効果があまり出ず、ご本人もスタッフも「どうしたものか?」と困り果てていました。
きっと、この女性の心に悩み事や問題があり、心が重く、固くなっていたのでしょう。
悩みがあると筋肉が緊張し、体の血流がわるくなり、毒素もため込んでしまうのです。
メンタルになにか重いものを抱えていたから効果が出ずらかったのです。
おもしろいことに、男性のお客さんはすぐに痩せていく人が多かったように思います。
理由はおそらく「女性エステティシャンとの会話」によって、知らず知らずのうちにメンタルが癒されたのだと思います。
仕事のストレスや、女性に対するコンプレックス、そのようなものが女性エステティシャンと話すことでほどけていき、男性はすぐに効果が出る人が多かったのでしょう。
(一概に男性と言っても個人差がありまして、気難しい人や心がかたくなな男性はやはりなかなか痩せませんでした)
そのような経験から、体を健康に美しく保つためには「メンタルを整えることが大切」だとエステサロンに勤務しているときにすでに気づいていたのです。
そのことを婦人科の病気が改善した記事を読んで、思い出しました。
メンタルケアを仕事にしていこうと決める
「わたしはメンタルケアを仕事にしていくんだ!」
この時そう決意しました。
カウンセラーの仕事内容、キャリアイメージ、通信制の大学、費用などをすぐさま調べ始めました。
そのころ、知り合いのスピリチュアリストに「メンタルをケアする仕事をしたいと思っている」と相談したところ、「カラーセラピーがいい」とアドバイスを受けました。
カラーセラピーなど考えたこともなかったので、また別のスピリチュアリストに相談してみると面白いことに「カラーセラピーが見える」と言われました。
2人から言われたので、「そんなに縁があるならば」と、将来仕事にすることをふまえ、カラーセラピースクールに通い始めました。
学費は安くはありませんでした。
貯金は年下男に取られてただでさえ乏しかったのに、「やろう!」と覚悟を決めて申し込みました。
そのスクールでは単にカラーセラピーのカウンセリング技法と知識を学ぶだけではありませんでした。
チャクラ、瞑想、エネルギー、色のエネルギー、オーラについても学ぶようになり、直観力が身についてきました。
アロマを用いて瞑想用の音楽をかけ、心地よい感覚を味わいました。
本格的にスピリチュアルなこと、カウンセリングスキルやメンタルの事を学びました。
おもしろかったのは、学びながら自分自身と向き合う機会が多くあったことです。
ますます自分の内側を見ていくことになりました。
おかげで、過去の数々のダメンズとの出来事や、子供の頃の悲しい記憶、仕事でのツライ体験も、ただの辛い経験ではなく、わたしにとっての学びとして受けとめられるようになっていきました。
仕事のためにカウンセリングを学んだのに、わたし自身がすっかり癒されていったことに驚きました。
重かった感情、ネガティブな感情が消えて、穏やかな希望の中にいるような気がしました。
生まれ変わったような感覚でした。
まわりからも「きれいになったね」「いいことあった?」と言われるようになってきたのです。
古武術道場に入門【2013年】
そのような時、ホリスティック医療についてのイベントに出かけました。
主に自然治癒力を高めることを目的としています。
治療法も西洋医学、東洋医学に限らず患者さんに合った治療法を患者さん自身が選択し、単に「病気ではない」「病気を治す」ということだけでなく、人として幸せに生きる道を示す医療だと私は考えています。
自分自身の体調不良や、両親が難病にかかっていること、もともとエステ業界で体のケアに興味があったことなどから、ホリスティック医療につよい関心を持っていました。
スピリチュアルなこと、メンタルのこと、からだのこと、すべてがわたしにとってつながっていたのです。
そのイベントで、わたしはあるセミナーを聴き、衝撃を受けました。
この言葉にガーン!と雷に打たれたような気持ちになりました。
このお話をしてくださったのは、現役の医師でもあり、大東流合気柔術(古武術の一つ)壱風館の館長でもある松村浩道先生。
「これをやりたい!」とピン!と来て、すぐさま直近の朝稽古のある日に入門を願い出て許されました。
それから週に2回、合気柔術の稽古に通うようになりました。
先生のお人柄で稽古自体も穏やかで、通うペースは個人の自由でした。
強制されることも、先輩から厳しくされることもありません。
学生時代の体育会系の窮屈さがイヤで仕方がなかったわたしでも、稽古にはとても気持ちよく通えました。
なにより、稽古はわたしにとって自分軸を意識するのにとても役に立ったのです!
体を使う稽古なので、技をかけたりかけられりたりします。
柔道のように投げられたりしますから、それは最初のうちは少し怖かったですが、すぐ慣れました。
身体を動かしながら、自分の丹田の感覚、肚(はら)の感覚が出てくるのです。
中心の感覚、自分軸の感覚ともいえます。
ある時、稽古のまっ最中に、ふと
「周囲がわたしになにか不快なことをしかけてきても、自分軸さえしっかりしていれば、誰にもわたしを侵すことはできない」
と感覚的にわかってしまったのです。
稽古を続けたおかげで自分軸についての意識がハッキリとしてきたのでした。
そのおかげもあり、会社員をやめて独立することを決意しました。
「わたしがやりたいことはカウンセリングやコーチングなんだ!」とハッキリ本当の自分の望みを知ることができたのです。
とはいえ、わたしはHSPなので、辞めるまでは「あーでもない、こーでもない」とモヤモヤした時期がありますが、前回のエステの会社を辞めるときよりもスッキリ決断できました。
セラピーサロンを開店【2014年】
2014年にとうとう、世田谷区で念願のセラピーサロンを立ち上げました。
エステティックとボディケア、カウンセリングとヒーリングを融合したサロンです。
お客さまは女性と男性が半々です。
わたしがHSPというものをはじめて知ったのは2017年です。
そしてHSP専門のカウンセリングを始めたのが2019年、
HSPナチュラルガイドという現在の体系にまとめ始めたのが2020年、
そしてオンラインでHSPナチュラルガイドのセッションを提供できるようになったのは2022年のことになります。
エステの会社にいたころは、独立するなんて考えたこともありませんでした。
しかし、数々の仕事や恋愛、お金の苦い経験から、「やりたいことをやろう」という勇気をもらい、独立するという目標をみつけて引き寄せの法則を実践した結果でした。
カラーセラピーに、わたしなりの引き寄せの法則や自分軸づくりの経験を合わせたカウンセリングとヒーリングとセラピーの融合したサービスを提供しました。
セラピー中は不思議なことがよく起こりました。
イメージや言葉がポンとどこからともなく飛んでくるのです。
そのことを伝えると、クライアントさんは涙がワッとあふれて浄化される、ということがよくありました。
このような経験から、見えないものへの信頼感や大いなるものからのメッセージをじょじょに積んでいきました。
求めれば必要なメッセージをくれるんだと思えました。
今思うと「HSPなのによくカウンセリングにチャレンジできたなあ」と思う時があります。
基本的に人に会うのは気を使い過ぎてしまうので疲れるのです。
カウンセリングの仕事では初めて会う人も多く、最初はとても緊張しました。
ですが、ひとたびカウンセリングが始まると集中力が不思議と高まるのと同時に、とてもリラックスしていました。
終わった後もあまり疲れませんので、続けて何人もできるから不思議です。
「カウンセラー業が天職なのかも?」と思えるほどです。
チャレンジしてよかったと思えました。
自分に合うかどうかは、やってみなければわからないものですね。
自分の直観を信頼する
このころからわたしは自分の直観を信頼するようになっていました。
具体的にどう変わったかというと、興味のあることに取り組むようになりました。
以前はなにかにピン!ときても、「お金もかかるし…」「忙しいから…」とすぐに取り組めなかったことが多かったのです。
ワクワクした気持ちが芽生えても、「でも…」と言ってあきらめていました。
しかし、あきらめるのをやめました。
ピン!ときたことを大切にするようにしたのです。
そうすることによって、人生がダイナミックに動き始めたのです。
結婚相手に出逢う【2014年】
道場仲間
会社を辞めたことで、稽古に充てる時間が長くなりました。
自分の好きなことに時間を充てられるっていいですね。
会社員時代は出勤のため午前7時には朝稽古をあがっていました。
退職したことにより、午前8時まで目いっぱい稽古をし、稽古後に道場仲間とドトールやマックで朝食を食べながらスピリチュアルなこと、氣のこと、稽古の事など、いろいろ会話をする時間が出来ました。
そのおしゃべりのメンバーに仙人ふうの将来のだんなさんもいたのです。
将来のだんなさんとなるその男性は、わたしと同じ日に入門したいと道場に来た人でした。
なんと、先日のホリスティック医療のイベント会場にいて、同じセミナーを聴き、わたしと同じように感動してすぐに入門しようと決意したということでした。
作務衣を着ていて仙人のようなひげをたくわえ、気功の体操をしている…。
経営コンサルタントをしているとのことでしたが、一般的に見るようなスーツをバリっと着こなして、シュッとしているような見かけではなく、お腹が大黒様の様に出ていて、ひげをたくわえ、仙人か宗教家のような容貌。
さらに、見ため通りに中身も変人でした。
悪気はないのですが口が悪く、人をいじるのが趣味で、ちょっと苦手なタイプでした。
稽古の時もめんどくさい事ばかりいうので、なんとなく一緒に稽古をするのが嫌でした。
ですが稽古後に話してみると、意外に面白い人だということが分かりました。
スピリチュアルなことをずっと探求していて、真冬の滝行(密教の修行で滝に打たれてマントラを唱える修行)までしていること。
離婚を2回していること。
都内で起業した会社を株式公開の一歩手前までもっていったけれど、組織の管理に失敗して破産したこと。
どん底貧乏時代があったこと。
今もお金がそれほどないから学生もいるシェアハウスに住んでいることなどを、あっけらかんと話してくれるのです。
頭がよく、人生経験豊富で、失敗してもめげない、明るい人だと思いました。
そこからいい友達になっていきました。
ある日、稽古後のドトールで。
稽古仲間で会話しているときに、将来のだんなさんが「自分は63歳で死ぬ予定だ」と言いだしました。
「自分はやりたいことを好き放題、今までやってきた。もうやりたいことが残っていない。だから60歳で地元、北海道の雪山に入ってクマに食われて向こうの世界に旅立つ予定でいる。だけど松村先生(道場の師範)に出逢ったのでそれを3年先に延ばして63歳で旅立つ予定だ。」
そんなことを言ったのです。
当時、だんなさんは57歳。
まわりの人は「またあ~」と笑ってまともに聞いてはいませんでしたが、わたしはなんだかとてもかわいそうに感じました。
とても孤独な人なんだと感じました。
解散した後も気になり、ラインを送りました。
「ひとりで旅立つのはあまりにもさびしいので、大浦さん(だんなさんのこと)が山に入るその時は、わたしがエネルギーで旅立ちを見送ります。」
一人で山に入って旅立つなんて、本当にさびしいことだと思ったから。
おそらくそれがきっかけで、二人の間に潜在意識レベルで、つながりのようなものが芽生え始めたのだと思います。
もう婚活なんて要らない
道場の先生のビジネス関連の事で、5人くらいのチームができた時もだんなさんから誘われました。
わたしの仕事は先生が講演する際のヘアメイク係。
先生は講演する機会が多かったので、わたしは講演先にドライヤーやメイク道具を持って先生の身だしなみを整えました。
その時はいつもだんなさんが近くにいました。
19歳も年上でしたが、スピリチュアルの感性も同じだし、なんにでも感謝して楽しんで暮らすというような考え方も合いました。
そういったことで話す機会もぐっと増えていきました。
わたしはその頃は自分のサロンの仕事に夢中になっていました。
朝活や異業種交流会などもがんばって行くようにしていました。
経営についての勉強や、宣伝活動、スキルを磨くこと、日々の営業などで必死でした。
この間も人生に彩りを添える程度の軽い恋愛はいくつかしましたが、「だれかと結婚したい」なんて1ミリも考えつきませんでした。
起きてから寝るまで、ほぼ仕事づくし。
しかも、やりたいことを始めていたのでわたしはとても満足でした。
やりたいことをやっている充実感。
軌道に乗るよう、はりきっていました。
ですからその頃は「もう結婚しなくてもいい」と考えていました。
「誰かに幸せにしてもらおうと思っていたけど、その必要はない。
わたしがわたしを幸せにする!」
という具合に、結婚にまったく興味がなくなりました。
ですが、その頃、突然わたしにモテ期がやってきたのです。
男性からひんぱんに誘われるようになりました。
仕事以外は相変わらず道場へ稽古に行ったり、本を読んだりして自分を見つめていました。
カウンセリングの仕事はとても充実感がありました。
誰かの癒しのサポートができることにわたしは喜びを感じていました。
愛し愛される関係を手に入れたい
ある時、稽古仲間のスピリチュアリストに「願いをかなえるワーク」を勧められました。
「毎晩眠る前に紙に100個の願いを書き出し、それを続けると願いが叶う」というものでした。
「へえー、おもしろそう!」とさっそくその日の夜から書き始めました。
お風呂上りに紙と鉛筆を用意し気持ちを落ち着けて椅子に座ります。
そして、手あたり次第書きだしていきました。
たとえば、こんな具合です。
・お客さんが予約待ちになる
・ヘルシーできれいな体が手に入る
・両親の病気が全快する
・タワーマンションにセラピールームを開く
・ポルシェに乗る
などなど…。
かなり、欲にまみれた願いもありましたが(笑)、がんばって100個書いてみました。
次の日もまた次の日も書き続けました。
このころは、たまたま、引き寄せの法則も実践していて、なんだかイマイチ現実が引き寄せられないなあとモヤモヤしている時でした。
するとパーツ心理学というセッションを受ける機会があり、本当の自分とその願いを発見することができました。
ほんとうの私が願っているものはというと…。
「愛し愛される関係を手に入れる」というものでした!
ガビーン!
結婚には興味がなかったけれど、「愛し愛される関係」をわたしは望んでいたんだ!と気づいてしまったのですね。
わたしがのぞんでいるものはこれだったのか…。
結婚でもなく、「愛し愛される関係」…。
たしかに思い返すと、心の奥底では寂しかった自分がいたことを思い出しました。
だれかを愛したい。
そして愛されたい。
そのことに気づいてしまいました。
それから100個の願いを書くときに最初に、「愛し愛される関係」と書き入れるようになりました。
毎日書いていくうちに、だんだんと100個も書けなくなっていきました。
「愛し愛される関係」がとても重要で、それ以外はどうでもよくなってきたのでした。
「ポルシェに乗る」なんて、すぐさま消えました。
じょじょに願いがしぼられていきました。
いきなり結婚【2015年】
突然の告白
そんなある日の事、だんなさんから「ジンギスカン食べない?ごちそうするよ」と誘われました。
すでに道場の外でも仲良くなっていたので、わたしは気軽にOKし、出かけていきました。
(ここからは「将来のだんなさん」ではややこしいので「だんなさん」でいきます)
だんなさんは徹夜明けの仕事がやっと終わったので、一睡もしないままのハイテンションの打ち上げのお祝い気分でジンギスカンを食べようと思ったそうです。
かといって誘う人もいないのでわたしを誘おうと思いついたとのこと。
とにかくさみしがり屋なのです。
店はだんなさん行きつけの、大久保駅前の繁華街にある、カウンター席が5、6席くらいの狭くて油まみれの汚いお店。
夕方の早い時間でしたが、わたしたちの他にも若い酔っ払いグループが大音響で騒いでいて、話をするのには、お互い、かなり近づかないと聞こえないほど。
だんなさんは徹夜明けでしたのですぐに酔っぱらってしまっていました。
わたしは夜に仕事の予定があったので、早めに上がることになっていました。
ジンギスカンをお互いにお腹いっぱい食べて「お先に帰ります。ごちそうさまでした。」と、帰ろうとしたとき。
その時、周りの酔っぱらいが大騒ぎしているなかで、だんなさんが突然こう言ったのです。
「恋人にならない?」
もともと、恋愛の雰囲気などふたりともこれまでみじんもない友だちでした。
ところが次の瞬間、わたしは自然に「いいよ」と答えてしまっていました。
その後、カウンター席に座っているだんなさんを背中から優しく抱きしめ、お店を出ました。
後から考えると、よく考えもせず「いいよ」と言ってしまっていたことに気づきました。
ですが、不思議とイヤではありませんでした。
翌日わたしは、沖縄に行くことになっていました。
沖縄でスピリチュアルイベントが行われるのでそれに参加していました。
沖縄の海岸で太陽でキラキラ輝く波を見ながら、昨日のことを考えていました。
「恋人にならない?」
「いいよ」
不思議でした。
無意識に答えてしまっていました。
そんなことを考えていると、だんなさんからラインが届きました。
「昨日ああいったのは、自分は寂しかったんだと思う」
正直な気持ちを聞いて、「キュン」としてしまいました。
二度の離婚で、彼女をもったり結婚などには全く関心のない人でした。
あとで考えてもどうして「恋人にならない?」という言葉が口から出たのか、不思議でならないそうです。
「恋人になる気持ちは変わらない」
そう改めてラインで返しました。
沖縄から戻ると、品川駅までだんなさんが迎えに来てくれました。
それから、まめにだんなさんはわたしの部屋に来るようになりました。
おつきあいゼロでいきなり結婚
それから一か月後、道場の先生のビジネス関連のミーティングをわたしのサロンを会場にして開くことにしました。
その準備をだんなさんと二人でしている際にこんなことを言い出しました。
「ミーティングで婚約したって発表しちゃおうか?」
付き合ってまだ一ヶ月でしたが、「それもいいかな」と不思議と思えたので同意しました。
そして、道場仲間3人と先生に「婚約しました!」と発表。
皆さん大変驚きました!
それはそうです。
だんなさんは変人でバツ2ということは皆さん知っているし、わたしは初婚。
年齢差19歳。
先輩の一人は「また~、僕をだましているんでしょ?」と信じてくれませんでした(笑)
また別の先輩は「アセンションだ!」と叫びました。
結局皆さん、「道場から愛が生まれた」と祝福してくれました。
そして、付き合って1か月で結婚することになったのです。
ほんとうの自分を知り、本心の願いが「愛し愛される関係」だと知ったこと。
「願うワーク」でそれを明確に願ったこと。
さらに引き寄せの法則を使って「愛し愛される関係」にすでに包まれていると感じながら過ごしたこと。
これらによって、だんなさんとの結婚を引き寄せることができました。
わたしの方もだんなさんに引き寄せられてしまいました。
しかし、このときはまだ、「愛し愛される関係」にはいたっていませんでした。
それはそうです。
まだちゃんと、おつきあいしたことがない人なのです。
だんなさんとの「愛し愛される関係」に至るストーリーがここから始まったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
“生きづらい”にさよなら。
HSPに生まれてよかった。
そんな世界を目指します。
HSP用の引き寄せ・願望実現メソッド「HSPナチュラルガイド」
HSPさんが、ナチュラルな自分(ほんとうの自分)(魂の自分)で安心して幸せに暮らせるようにガイドします。
HSPさんの刺激を過剰に受けやすいという特徴を理解して、あなたのペースを大事にします。
(Natural Way1)HSPさんが未来の自分を五感(六感)で感じるようにガイドします。
(Natural Way2)HSPさんが未来の自分になりきるようにガイドします。
(Natural Way3)HSPさんが自分軸を確かにするようにガイドします。
(Natural Way4)HSPさんが自分軸を太く鍛えるようにガイドします。
(Natural Way5)HSPさんが生きやすいように自己表現スキルをガイドします。
HSPなのに勇気を出してマッチングサイトで婚活をし、4人の男性に会ってきました。
【HSP婚活失敗体験パート2】自己肯定感が低いと出会うダメ男
【HSP婚活失敗体験パート3】またもやダメンズ4人目はちょっと見エリート
【HSP婚活失敗体験パート4】モラハラ・浮気・借金強要しながら逆ギレの最強ダメンズを引き寄せる
今回は婚活により身も心も財布もボロボロになった後から、今のだんなさんに出逢い結婚するまでをお話しします。
皆さまの幸せのヒントになれば幸いです。
出来事が多いので年号を入れて分かり安くしました。
引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
薬にたよらなくちゃいけないなんて
年下男と別れた後、わたしの体はボロボロになっていました。
めまい、手の震え、下痢、突然の花粉症。
仕事にはなんとか行けていましたが、夕方になると激しいめまいに襲われていました。
仕方なくクリニックに行くと不安や緊張を緩和する薬が処方されました。
え?わたしって、そんなにメンタルが弱ってしまったの?
そんな薬にたよらなくちゃいけないほどにまでなってしまったの?
お金だけじゃなく体までボロボロになっちゃったの?
とてもショックでした。
今まで仕事を休まないくらい健康には自信があったのに…。
(HSPの責任感気質から「休めない」とがんばり過ぎてしまったため、結果、心が折れたんですけどね…笑)
精神的な病気の怖さを年下男でまざまざとみていたので、「これはイカン!」と感じました。
「このままじゃダメだよ!」
と自分の奥から湧き上がるものを感じ、自分を奮い立たせました。
エドガー・ケイシー療法が合っていた
「薬に頼らず、まずは自力でできることをやってみよう!」とネットや図書館で自然療法について調べていくと「エドガー・ケイシー療法」に出会いました。
エドガー・ケイシー(1877年~1945年)は優れた霊能力者で、催眠透視により病気の治療法や、科学、経済、生き方のアドバイスを記録に残るものだけでも14,000件以上も行ってきました。
現在でも有名なエドガー・ケイシー療法として、「ひまし油湿布」や「りんご断食」「腸内洗浄」などがあります。
エドガー・ケイシーのドキュメンタリー映画「THE READINGS リーディング」(2018)は新たな目覚めを促すというコピー通りの映画でした。
わたしはエドガー・ケイシーのアドバイスを実践しました。
必要な道具を買いそろえ、自分でひまし油湿布をお腹にあて、なんと、自分でノズルを肛門に差し込み(失礼!)腸内洗浄までやりました。
また、「そんな食事で大丈夫?」と言われ、変な目で見られながら、りんご断食をしたり、パセリやセロリ、にんじんばかりの食事療法を実践しました。
すると!
しだいに体調が良くなっていったのです。
下痢はいつの間にかなくなり、めまいも減っていきました。
わたしの場合、このやり方が自分の体に合っていたようです。
(体質は人それぞれ。このやり方がすべての人に合うわけではありません。今までいろいろな健康法を試しましたが、合わないものもありました。
健康法は自分に合うものを見つけることが大切です!)
スピリチュアルや心のあり方に関心を向ける
体調が良くなるとそれに合わせるように、気分の落ち込みもだんだん減ってきました。
このことは、とても面白い発見でした。
体調を整えることでメンタルに良い影響を与えることに気づきました!
そのようなことから、自然療法は体だけでなく、メンタルにも効果があるのかもしれないと気づきました。
エドガー・ケイシーがきっかけで、もともと興味のあったスピリチュアルや心のあり方に興味がますます向いていき、そのような本を読みあさるようになりました。
引き寄せの法則、バシャール、斎藤一人、中村天風、小林正観などなど…。
また、朝6時からの「心の在り方」を学ぶ活動にも参加し始めました。
(HSS型HSPなので、やるときはやるんですよ。
だけどアドレナリンが出過ぎてしまい、長くは続けられませんでした。
無理は禁物です!)
HSPさんはスピリチュアルなこと、精神的なことを深めていくと、とても穏やかに過ごせることが分かっています。
(このときのわたしはHSPの知識がありません。HSPを知るのは2017年になってからです。
もっと早く知っておきたかったけど、知ることができて良しとします)
「心の在り方」学ぶにつれて、わたしはだんだんとボロボロになった心に、やすらぎと希望を取り戻し始めました。
自己否定感がかなりやわらいでいました。
色々大変だったけど、それはわたしを成長させる経験だったんだ…。
あの経験(年下男とのトラブルやお金を貸してしまった、自分の気持ちを伝えきれなかった後悔など)があったから、今の自分があるのだと少し思えるようになってきました。
心のケアについても学び始める
さらに、心のケアについても学び始めました。
わたし自身が深く傷つき、体調を崩してボロボロになった経験。
そこから体調を整え、少しずつ幸せを感じられるようになってきた経験。
それらにより、メンタルケアに関心がわいてきました。
精神科の先生が書いた本や、カウンセラーの本も読みあさりました。
ある婦人科のお医者さんの記事で、心のケアにより婦人科の病気が改善した話を知りました。
そのときに、ふと、思い出したことがあります。
エステティシャン時代のこと。
「痩せてきれいになりたい」とエステに入会した女性がなかなか痩せられなかったことがありました。
今でもその女性のことはハッキリ覚えています。
きちんと決められた週2回の来店で、エステのケアを受け、食事ノートもつけていただいているのですが、体重もサイズもなかなか減らないのです。
ご自分の事は多く語られませんでしたが、体がパンパンに硬かったので、ストレスのかたまりだったのでしょう。
エステマシーンやマッサージを駆使しても効果があまり出ず、ご本人もスタッフも「どうしたものか?」と困り果てていました。
きっと、この女性の心に悩み事や問題があり、心が重く、固くなっていたのでしょう。
悩みがあると筋肉が緊張し、体の血流がわるくなり、毒素もため込んでしまうのです。
メンタルになにか重いものを抱えていたから効果が出ずらかったのです。
おもしろいことに、男性のお客さんはすぐに痩せていく人が多かったように思います。
理由はおそらく「女性エステティシャンとの会話」によって、知らず知らずのうちにメンタルが癒されたのだと思います。
仕事のストレスや、女性に対するコンプレックス、そのようなものが女性エステティシャンと話すことでほどけていき、男性はすぐに効果が出る人が多かったのでしょう。
(一概に男性と言っても個人差がありまして、気難しい人や心がかたくなな男性はやはりなかなか痩せませんでした)
そのような経験から、体を健康に美しく保つためには「メンタルを整えることが大切」だとエステサロンに勤務しているときにすでに気づいていたのです。
そのことを婦人科の病気が改善した記事を読んで、思い出しました。
メンタルケアを仕事にしていこうと決める
「わたしはメンタルケアを仕事にしていくんだ!」
この時そう決意しました。
カウンセラーの仕事内容、キャリアイメージ、通信制の大学、費用などをすぐさま調べ始めました。
そのころ、知り合いのスピリチュアリストに「メンタルをケアする仕事をしたいと思っている」と相談したところ、「カラーセラピーがいい」とアドバイスを受けました。
カラーセラピーなど考えたこともなかったので、また別のスピリチュアリストに相談してみると面白いことに「カラーセラピーが見える」と言われました。
2人から言われたので、「そんなに縁があるならば」と、将来仕事にすることをふまえ、カラーセラピースクールに通い始めました。
学費は安くはありませんでした。
貯金は年下男に取られてただでさえ乏しかったのに、「やろう!」と覚悟を決めて申し込みました。
そのスクールでは単にカラーセラピーのカウンセリング技法と知識を学ぶだけではありませんでした。
チャクラ、瞑想、エネルギー、色のエネルギー、オーラについても学ぶようになり、直観力が身についてきました。
アロマを用いて瞑想用の音楽をかけ、心地よい感覚を味わいました。
本格的にスピリチュアルなこと、カウンセリングスキルやメンタルの事を学びました。
おもしろかったのは、学びながら自分自身と向き合う機会が多くあったことです。
ますます自分の内側を見ていくことになりました。
おかげで、過去の数々のダメンズとの出来事や、子供の頃の悲しい記憶、仕事でのツライ体験も、ただの辛い経験ではなく、わたしにとっての学びとして受けとめられるようになっていきました。
仕事のためにカウンセリングを学んだのに、わたし自身がすっかり癒されていったことに驚きました。
重かった感情、ネガティブな感情が消えて、穏やかな希望の中にいるような気がしました。
生まれ変わったような感覚でした。
まわりからも「きれいになったね」「いいことあった?」と言われるようになってきたのです。
古武術道場に入門【2013年】
そのような時、ホリスティック医療についてのイベントに出かけました。
主に自然治癒力を高めることを目的としています。
治療法も西洋医学、東洋医学に限らず患者さんに合った治療法を患者さん自身が選択し、単に「病気ではない」「病気を治す」ということだけでなく、人として幸せに生きる道を示す医療だと私は考えています。
自分自身の体調不良や、両親が難病にかかっていること、もともとエステ業界で体のケアに興味があったことなどから、ホリスティック医療につよい関心を持っていました。
スピリチュアルなこと、メンタルのこと、からだのこと、すべてがわたしにとってつながっていたのです。
そのイベントで、わたしはあるセミナーを聴き、衝撃を受けました。
この言葉にガーン!と雷に打たれたような気持ちになりました。
このお話をしてくださったのは、現役の医師でもあり、大東流合気柔術(古武術の一つ)壱風館の館長でもある松村浩道先生。
「これをやりたい!」とピン!と来て、すぐさま直近の朝稽古のある日に入門を願い出て許されました。
それから週に2回、合気柔術の稽古に通うようになりました。
先生のお人柄で稽古自体も穏やかで、通うペースは個人の自由でした。
強制されることも、先輩から厳しくされることもありません。
学生時代の体育会系の窮屈さがイヤで仕方がなかったわたしでも、稽古にはとても気持ちよく通えました。
なにより、稽古はわたしにとって自分軸を意識するのにとても役に立ったのです!
体を使う稽古なので、技をかけたりかけられりたりします。
柔道のように投げられたりしますから、それは最初のうちは少し怖かったですが、すぐ慣れました。
身体を動かしながら、自分の丹田の感覚、肚(はら)の感覚が出てくるのです。
中心の感覚、自分軸の感覚ともいえます。
ある時、稽古のまっ最中に、ふと
「周囲がわたしになにか不快なことをしかけてきても、自分軸さえしっかりしていれば、誰にもわたしを侵すことはできない」
と感覚的にわかってしまったのです。
稽古を続けたおかげで自分軸についての意識がハッキリとしてきたのでした。
そのおかげもあり、会社員をやめて独立することを決意しました。
「わたしがやりたいことはカウンセリングやコーチングなんだ!」とハッキリ本当の自分の望みを知ることができたのです。
とはいえ、わたしはHSPなので、辞めるまでは「あーでもない、こーでもない」とモヤモヤした時期がありますが、前回のエステの会社を辞めるときよりもスッキリ決断できました。
セラピーサロンを開店【2014年】
2014年にとうとう、世田谷区で念願のセラピーサロンを立ち上げました。
エステティックとボディケア、カウンセリングとヒーリングを融合したサロンです。
お客さまは女性と男性が半々です。
わたしがHSPというものをはじめて知ったのは2017年です。
そしてHSP専門のカウンセリングを始めたのが2019年、
HSPナチュラルガイドという現在の体系にまとめ始めたのが2020年、
そしてオンラインでHSPナチュラルガイドのセッションを提供できるようになったのは2022年のことになります。
エステの会社にいたころは、独立するなんて考えたこともありませんでした。
しかし、数々の仕事や恋愛、お金の苦い経験から、「やりたいことをやろう」という勇気をもらい、独立するという目標をみつけて引き寄せの法則を実践した結果でした。
カラーセラピーに、わたしなりの引き寄せの法則や自分軸づくりの経験を合わせたカウンセリングとヒーリングとセラピーの融合したサービスを提供しました。
セラピー中は不思議なことがよく起こりました。
イメージや言葉がポンとどこからともなく飛んでくるのです。
そのことを伝えると、クライアントさんは涙がワッとあふれて浄化される、ということがよくありました。
このような経験から、見えないものへの信頼感や大いなるものからのメッセージをじょじょに積んでいきました。
求めれば必要なメッセージをくれるんだと思えました。
今思うと「HSPなのによくカウンセリングにチャレンジできたなあ」と思う時があります。
基本的に人に会うのは気を使い過ぎてしまうので疲れるのです。
カウンセリングの仕事では初めて会う人も多く、最初はとても緊張しました。
ですが、ひとたびカウンセリングが始まると集中力が不思議と高まるのと同時に、とてもリラックスしていました。
終わった後もあまり疲れませんので、続けて何人もできるから不思議です。
「カウンセラー業が天職なのかも?」と思えるほどです。
チャレンジしてよかったと思えました。
自分に合うかどうかは、やってみなければわからないものですね。
自分の直観を信頼する
このころからわたしは自分の直観を信頼するようになっていました。
具体的にどう変わったかというと、興味のあることに取り組むようになりました。
以前はなにかにピン!ときても、「お金もかかるし…」「忙しいから…」とすぐに取り組めなかったことが多かったのです。
ワクワクした気持ちが芽生えても、「でも…」と言ってあきらめていました。
しかし、あきらめるのをやめました。
ピン!ときたことを大切にするようにしたのです。
そうすることによって、人生がダイナミックに動き始めたのです。
結婚相手に出逢う【2014年】
道場仲間
会社を辞めたことで、稽古に充てる時間が長くなりました。
自分の好きなことに時間を充てられるっていいですね。
会社員時代は出勤のため午前7時には朝稽古をあがっていました。
退職したことにより、午前8時まで目いっぱい稽古をし、稽古後に道場仲間とドトールやマックで朝食を食べながらスピリチュアルなこと、氣のこと、稽古の事など、いろいろ会話をする時間が出来ました。
そのおしゃべりのメンバーに仙人ふうの将来のだんなさんもいたのです。
将来のだんなさんとなるその男性は、わたしと同じ日に入門したいと道場に来た人でした。
なんと、先日のホリスティック医療のイベント会場にいて、同じセミナーを聴き、わたしと同じように感動してすぐに入門しようと決意したということでした。
作務衣を着ていて仙人のようなひげをたくわえ、気功の体操をしている…。
経営コンサルタントをしているとのことでしたが、一般的に見るようなスーツをバリっと着こなして、シュッとしているような見かけではなく、お腹が大黒様の様に出ていて、ひげをたくわえ、仙人か宗教家のような容貌。
さらに、見ため通りに中身も変人でした。
悪気はないのですが口が悪く、人をいじるのが趣味で、ちょっと苦手なタイプでした。
稽古の時もめんどくさい事ばかりいうので、なんとなく一緒に稽古をするのが嫌でした。
ですが稽古後に話してみると、意外に面白い人だということが分かりました。
スピリチュアルなことをずっと探求していて、真冬の滝行(密教の修行で滝に打たれてマントラを唱える修行)までしていること。
離婚を2回していること。
都内で起業した会社を株式公開の一歩手前までもっていったけれど、組織の管理に失敗して破産したこと。
どん底貧乏時代があったこと。
今もお金がそれほどないから学生もいるシェアハウスに住んでいることなどを、あっけらかんと話してくれるのです。
頭がよく、人生経験豊富で、失敗してもめげない、明るい人だと思いました。
そこからいい友達になっていきました。
ある日、稽古後のドトールで。
稽古仲間で会話しているときに、将来のだんなさんが「自分は63歳で死ぬ予定だ」と言いだしました。
「自分はやりたいことを好き放題、今までやってきた。もうやりたいことが残っていない。だから60歳で地元、北海道の雪山に入ってクマに食われて向こうの世界に旅立つ予定でいる。だけど松村先生(道場の師範)に出逢ったのでそれを3年先に延ばして63歳で旅立つ予定だ。」
そんなことを言ったのです。
当時、だんなさんは57歳。
まわりの人は「またあ~」と笑ってまともに聞いてはいませんでしたが、わたしはなんだかとてもかわいそうに感じました。
とても孤独な人なんだと感じました。
解散した後も気になり、ラインを送りました。
「ひとりで旅立つのはあまりにもさびしいので、大浦さん(だんなさんのこと)が山に入るその時は、わたしがエネルギーで旅立ちを見送ります。」
一人で山に入って旅立つなんて、本当にさびしいことだと思ったから。
おそらくそれがきっかけで、二人の間に潜在意識レベルで、つながりのようなものが芽生え始めたのだと思います。
もう婚活なんて要らない
道場の先生のビジネス関連の事で、5人くらいのチームができた時もだんなさんから誘われました。
わたしの仕事は先生が講演する際のヘアメイク係。
先生は講演する機会が多かったので、わたしは講演先にドライヤーやメイク道具を持って先生の身だしなみを整えました。
その時はいつもだんなさんが近くにいました。
19歳も年上でしたが、スピリチュアルの感性も同じだし、なんにでも感謝して楽しんで暮らすというような考え方も合いました。
そういったことで話す機会もぐっと増えていきました。
わたしはその頃は自分のサロンの仕事に夢中になっていました。
朝活や異業種交流会などもがんばって行くようにしていました。
経営についての勉強や、宣伝活動、スキルを磨くこと、日々の営業などで必死でした。
この間も人生に彩りを添える程度の軽い恋愛はいくつかしましたが、「だれかと結婚したい」なんて1ミリも考えつきませんでした。
起きてから寝るまで、ほぼ仕事づくし。
しかも、やりたいことを始めていたのでわたしはとても満足でした。
やりたいことをやっている充実感。
軌道に乗るよう、はりきっていました。
ですからその頃は「もう結婚しなくてもいい」と考えていました。
「誰かに幸せにしてもらおうと思っていたけど、その必要はない。
わたしがわたしを幸せにする!」
という具合に、結婚にまったく興味がなくなりました。
ですが、その頃、突然わたしにモテ期がやってきたのです。
男性からひんぱんに誘われるようになりました。
仕事以外は相変わらず道場へ稽古に行ったり、本を読んだりして自分を見つめていました。
カウンセリングの仕事はとても充実感がありました。
誰かの癒しのサポートができることにわたしは喜びを感じていました。
愛し愛される関係を手に入れたい
ある時、稽古仲間のスピリチュアリストに「願いをかなえるワーク」を勧められました。
「毎晩眠る前に紙に100個の願いを書き出し、それを続けると願いが叶う」というものでした。
「へえー、おもしろそう!」とさっそくその日の夜から書き始めました。
お風呂上りに紙と鉛筆を用意し気持ちを落ち着けて椅子に座ります。
そして、手あたり次第書きだしていきました。
たとえば、こんな具合です。
・お客さんが予約待ちになる
・ヘルシーできれいな体が手に入る
・両親の病気が全快する
・タワーマンションにセラピールームを開く
・ポルシェに乗る
などなど…。
かなり、欲にまみれた願いもありましたが(笑)、がんばって100個書いてみました。
次の日もまた次の日も書き続けました。
このころは、たまたま、引き寄せの法則も実践していて、なんだかイマイチ現実が引き寄せられないなあとモヤモヤしている時でした。
するとパーツ心理学というセッションを受ける機会があり、本当の自分とその願いを発見することができました。
ほんとうの私が願っているものはというと…。
「愛し愛される関係を手に入れる」というものでした!
ガビーン!
結婚には興味がなかったけれど、「愛し愛される関係」をわたしは望んでいたんだ!と気づいてしまったのですね。
わたしがのぞんでいるものはこれだったのか…。
結婚でもなく、「愛し愛される関係」…。
たしかに思い返すと、心の奥底では寂しかった自分がいたことを思い出しました。
だれかを愛したい。
そして愛されたい。
そのことに気づいてしまいました。
それから100個の願いを書くときに最初に、「愛し愛される関係」と書き入れるようになりました。
毎日書いていくうちに、だんだんと100個も書けなくなっていきました。
「愛し愛される関係」がとても重要で、それ以外はどうでもよくなってきたのでした。
「ポルシェに乗る」なんて、すぐさま消えました。
じょじょに願いがしぼられていきました。
いきなり結婚【2015年】
突然の告白
そんなある日の事、だんなさんから「ジンギスカン食べない?ごちそうするよ」と誘われました。
すでに道場の外でも仲良くなっていたので、わたしは気軽にOKし、出かけていきました。
(ここからは「将来のだんなさん」ではややこしいので「だんなさん」でいきます)
だんなさんは徹夜明けの仕事がやっと終わったので、一睡もしないままのハイテンションの打ち上げのお祝い気分でジンギスカンを食べようと思ったそうです。
かといって誘う人もいないのでわたしを誘おうと思いついたとのこと。
とにかくさみしがり屋なのです。
店はだんなさん行きつけの、大久保駅前の繁華街にある、カウンター席が5、6席くらいの狭くて油まみれの汚いお店。
夕方の早い時間でしたが、わたしたちの他にも若い酔っ払いグループが大音響で騒いでいて、話をするのには、お互い、かなり近づかないと聞こえないほど。
だんなさんは徹夜明けでしたのですぐに酔っぱらってしまっていました。
わたしは夜に仕事の予定があったので、早めに上がることになっていました。
ジンギスカンをお互いにお腹いっぱい食べて「お先に帰ります。ごちそうさまでした。」と、帰ろうとしたとき。
その時、周りの酔っぱらいが大騒ぎしているなかで、だんなさんが突然こう言ったのです。
「恋人にならない?」
もともと、恋愛の雰囲気などふたりともこれまでみじんもない友だちでした。
ところが次の瞬間、わたしは自然に「いいよ」と答えてしまっていました。
その後、カウンター席に座っているだんなさんを背中から優しく抱きしめ、お店を出ました。
後から考えると、よく考えもせず「いいよ」と言ってしまっていたことに気づきました。
ですが、不思議とイヤではありませんでした。
翌日わたしは、沖縄に行くことになっていました。
沖縄でスピリチュアルイベントが行われるのでそれに参加していました。
沖縄の海岸で太陽でキラキラ輝く波を見ながら、昨日のことを考えていました。
「恋人にならない?」
「いいよ」
不思議でした。
無意識に答えてしまっていました。
そんなことを考えていると、だんなさんからラインが届きました。
「昨日ああいったのは、自分は寂しかったんだと思う」
正直な気持ちを聞いて、「キュン」としてしまいました。
二度の離婚で、彼女をもったり結婚などには全く関心のない人でした。
あとで考えてもどうして「恋人にならない?」という言葉が口から出たのか、不思議でならないそうです。
「恋人になる気持ちは変わらない」
そう改めてラインで返しました。
沖縄から戻ると、品川駅までだんなさんが迎えに来てくれました。
それから、まめにだんなさんはわたしの部屋に来るようになりました。
おつきあいゼロでいきなり結婚
それから一か月後、道場の先生のビジネス関連のミーティングをわたしのサロンを会場にして開くことにしました。
その準備をだんなさんと二人でしている際にこんなことを言い出しました。
「ミーティングで婚約したって発表しちゃおうか?」
付き合ってまだ一ヶ月でしたが、「それもいいかな」と不思議と思えたので同意しました。
そして、道場仲間3人と先生に「婚約しました!」と発表。
皆さん大変驚きました!
それはそうです。
だんなさんは変人でバツ2ということは皆さん知っているし、わたしは初婚。
年齢差19歳。
先輩の一人は「また~、僕をだましているんでしょ?」と信じてくれませんでした(笑)
また別の先輩は「アセンションだ!」と叫びました。
結局皆さん、「道場から愛が生まれた」と祝福してくれました。
そして、付き合って1か月で結婚することになったのです。
ほんとうの自分を知り、本心の願いが「愛し愛される関係」だと知ったこと。
「願うワーク」でそれを明確に願ったこと。
さらに引き寄せの法則を使って「愛し愛される関係」にすでに包まれていると感じながら過ごしたこと。
これらによって、だんなさんとの結婚を引き寄せることができました。
わたしの方もだんなさんに引き寄せられてしまいました。
しかし、このときはまだ、「愛し愛される関係」にはいたっていませんでした。
それはそうです。
まだちゃんと、おつきあいしたことがない人なのです。
だんなさんとの「愛し愛される関係」に至るストーリーがここから始まったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
“生きづらい”にさよなら。
HSPに生まれてよかった。
そんな世界を目指します。
HSP用の引き寄せ・願望実現メソッド「HSPナチュラルガイド」
HSPさんが、ナチュラルな自分(ほんとうの自分)(魂の自分)で安心して幸せに暮らせるようにガイドします。
HSPさんの刺激を過剰に受けやすいという特徴を理解して、あなたのペースを大事にします。
(Natural Way1)HSPさんが未来の自分を五感(六感)で感じるようにガイドします。
(Natural Way2)HSPさんが未来の自分になりきるようにガイドします。
(Natural Way3)HSPさんが自分軸を確かにするようにガイドします。
(Natural Way4)HSPさんが自分軸を太く鍛えるようにガイドします。
(Natural Way5)HSPさんが生きやすいように自己表現スキルをガイドします。
HSPなのに勇気を出してマッチングサイトで婚活をし、4人の男性に会ってきました。
【HSP婚活失敗体験パート2】自己肯定感が低いと出会うダメ男
【HSP婚活失敗体験パート3】またもやダメンズ4人目はちょっと見エリート
【HSP婚活失敗体験パート4】モラハラ・浮気・借金強要しながら逆ギレの最強ダメンズを引き寄せる
今回は婚活により身も心も財布もボロボロになった後から、今のだんなさんに出逢い結婚するまでをお話しします。
皆さまの幸せのヒントになれば幸いです。
出来事が多いので年号を入れて分かり安くしました。
引き寄せの法則の実践と自分軸づくり【2011年~2013年】
薬にたよらなくちゃいけないなんて
年下男と別れた後、わたしの体はボロボロになっていました。
めまい、手の震え、下痢、突然の花粉症。
仕事にはなんとか行けていましたが、夕方になると激しいめまいに襲われていました。
仕方なくクリニックに行くと不安や緊張を緩和する薬が処方されました。
え?わたしって、そんなにメンタルが弱ってしまったの?
そんな薬にたよらなくちゃいけないほどにまでなってしまったの?
お金だけじゃなく体までボロボロになっちゃったの?
とてもショックでした。
今まで仕事を休まないくらい健康には自信があったのに…。
(HSPの責任感気質から「休めない」とがんばり過ぎてしまったため、結果、心が折れたんですけどね…笑)
精神的な病気の怖さを年下男でまざまざとみていたので、「これはイカン!」と感じました。
「このままじゃダメだよ!」
と自分の奥から湧き上がるものを感じ、自分を奮い立たせました。
エドガー・ケイシー療法が合っていた
「薬に頼らず、まずは自力でできることをやってみよう!」とネットや図書館で自然療法について調べていくと「エドガー・ケイシー療法」に出会いました。
エドガー・ケイシー(1877年~1945年)は優れた霊能力者で、催眠透視により病気の治療法や、科学、経済、生き方のアドバイスを記録に残るものだけでも14,000件以上も行ってきました。
現在でも有名なエドガー・ケイシー療法として、「ひまし油湿布」や「りんご断食」「腸内洗浄」などがあります。
エドガー・ケイシーのドキュメンタリー映画「THE READINGS リーディング」(2018)は新たな目覚めを促すというコピー通りの映画でした。
わたしはエドガー・ケイシーのアドバイスを実践しました。
必要な道具を買いそろえ、自分でひまし油湿布をお腹にあて、なんと、自分でノズルを肛門に差し込み(失礼!)腸内洗浄までやりました。
また、「そんな食事で大丈夫?」と言われ、変な目で見られながら、りんご断食をしたり、パセリやセロリ、にんじんばかりの食事療法を実践しました。
すると!
しだいに体調が良くなっていったのです。
下痢はいつの間にかなくなり、めまいも減っていきました。
わたしの場合、このやり方が自分の体に合っていたようです。
(体質は人それぞれ。このやり方がすべての人に合うわけではありません。今までいろいろな健康法を試しましたが、合わないものもありました。
健康法は自分に合うものを見つけることが大切です!)
スピリチュアルや心のあり方に関心を向ける
体調が良くなるとそれに合わせるように、気分の落ち込みもだんだん減ってきました。
このことは、とても面白い発見でした。
体調を整えることでメンタルに良い影響を与えることに気づきました!
そのようなことから、自然療法は体だけでなく、メンタルにも効果があるのかもしれないと気づきました。
エドガー・ケイシーがきっかけで、もともと興味のあったスピリチュアルや心のあり方に興味がますます向いていき、そのような本を読みあさるようになりました。
引き寄せの法則、バシャール、斎藤一人、中村天風、小林正観などなど…。
また、朝6時からの「心の在り方」を学ぶ活動にも参加し始めました。
(HSS型HSPなので、やるときはやるんですよ。
だけどアドレナリンが出過ぎてしまい、長くは続けられませんでした。
無理は禁物です!)
HSPさんはスピリチュアルなこと、精神的なことを深めていくと、とても穏やかに過ごせることが分かっています。
(このときのわたしはHSPの知識がありません。HSPを知るのは2017年になってからです。
もっと早く知っておきたかったけど、知ることができて良しとします)
「心の在り方」学ぶにつれて、わたしはだんだんとボロボロになった心に、やすらぎと希望を取り戻し始めました。
自己否定感がかなりやわらいでいました。
色々大変だったけど、それはわたしを成長させる経験だったんだ…。
あの経験(年下男とのトラブルやお金を貸してしまった、自分の気持ちを伝えきれなかった後悔など)があったから、今の自分があるのだと少し思えるようになってきました。
心のケアについても学び始める
さらに、心のケアについても学び始めました。
わたし自身が深く傷つき、体調を崩してボロボロになった経験。
そこから体調を整え、少しずつ幸せを感じられるようになってきた経験。
それらにより、メンタルケアに関心がわいてきました。
精神科の先生が書いた本や、カウンセラーの本も読みあさりました。
ある婦人科のお医者さんの記事で、心のケアにより婦人科の病気が改善した話を知りました。
そのときに、ふと、思い出したことがあります。
エステティシャン時代のこと。
「痩せてきれいになりたい」とエステに入会した女性がなかなか痩せられなかったことがありました。
今でもその女性のことはハッキリ覚えています。
きちんと決められた週2回の来店で、エステのケアを受け、食事ノートもつけていただいているのですが、体重もサイズもなかなか減らないのです。
ご自分の事は多く語られませんでしたが、体がパンパンに硬かったので、ストレスのかたまりだったのでしょう。
エステマシーンやマッサージを駆使しても効果があまり出ず、ご本人もスタッフも「どうしたものか?」と困り果てていました。
きっと、この女性の心に悩み事や問題があり、心が重く、固くなっていたのでしょう。
悩みがあると筋肉が緊張し、体の血流がわるくなり、毒素もため込んでしまうのです。
メンタルになにか重いものを抱えていたから効果が出ずらかったのです。
おもしろいことに、男性のお客さんはすぐに痩せていく人が多かったように思います。
理由はおそらく「女性エステティシャンとの会話」によって、知らず知らずのうちにメンタルが癒されたのだと思います。
仕事のストレスや、女性に対するコンプレックス、そのようなものが女性エステティシャンと話すことでほどけていき、男性はすぐに効果が出る人が多かったのでしょう。
(一概に男性と言っても個人差がありまして、気難しい人や心がかたくなな男性はやはりなかなか痩せませんでした)
そのような経験から、体を健康に美しく保つためには「メンタルを整えることが大切」だとエステサロンに勤務しているときにすでに気づいていたのです。
そのことを婦人科の病気が改善した記事を読んで、思い出しました。
メンタルケアを仕事にしていこうと決める
「わたしはメンタルケアを仕事にしていくんだ!」
この時そう決意しました。
カウンセラーの仕事内容、キャリアイメージ、通信制の大学、費用などをすぐさま調べ始めました。
そのころ、知り合いのスピリチュアリストに「メンタルをケアする仕事をしたいと思っている」と相談したところ、「カラーセラピーがいい」とアドバイスを受けました。
カラーセラピーなど考えたこともなかったので、また別のスピリチュアリストに相談してみると面白いことに「カラーセラピーが見える」と言われました。
2人から言われたので、「そんなに縁があるならば」と、将来仕事にすることをふまえ、カラーセラピースクールに通い始めました。
学費は安くはありませんでした。
貯金は年下男に取られてただでさえ乏しかったのに、「やろう!」と覚悟を決めて申し込みました。
そのスクールでは単にカラーセラピーのカウンセリング技法と知識を学ぶだけではありませんでした。
チャクラ、瞑想、エネルギー、色のエネルギー、オーラについても学ぶようになり、直観力が身についてきました。
アロマを用いて瞑想用の音楽をかけ、心地よい感覚を味わいました。
本格的にスピリチュアルなこと、カウンセリングスキルやメンタルの事を学びました。
おもしろかったのは、学びながら自分自身と向き合う機会が多くあったことです。
ますます自分の内側を見ていくことになりました。
おかげで、過去の数々のダメンズとの出来事や、子供の頃の悲しい記憶、仕事でのツライ体験も、ただの辛い経験ではなく、わたしにとっての学びとして受けとめられるようになっていきました。
仕事のためにカウンセリングを学んだのに、わたし自身がすっかり癒されていったことに驚きました。
重かった感情、ネガティブな感情が消えて、穏やかな希望の中にいるような気がしました。
生まれ変わったような感覚でした。
まわりからも「きれいになったね」「いいことあった?」と言われるようになってきたのです。
古武術道場に入門【2013年】
そのような時、ホリスティック医療についてのイベントに出かけました。
主に自然治癒力を高めることを目的としています。
治療法も西洋医学、東洋医学に限らず患者さんに合った治療法を患者さん自身が選択し、単に「病気ではない」「病気を治す」ということだけでなく、人として幸せに生きる道を示す医療だと私は考えています。
自分自身の体調不良や、両親が難病にかかっていること、もともとエステ業界で体のケアに興味があったことなどから、ホリスティック医療につよい関心を持っていました。
スピリチュアルなこと、メンタルのこと、からだのこと、すべてがわたしにとってつながっていたのです。
そのイベントで、わたしはあるセミナーを聴き、衝撃を受けました。
この言葉にガーン!と雷に打たれたような気持ちになりました。
このお話をしてくださったのは、現役の医師でもあり、大東流合気柔術(古武術の一つ)壱風館の館長でもある松村浩道先生。
「これをやりたい!」とピン!と来て、すぐさま直近の朝稽古のある日に入門を願い出て許されました。
それから週に2回、合気柔術の稽古に通うようになりました。
先生のお人柄で稽古自体も穏やかで、通うペースは個人の自由でした。
強制されることも、先輩から厳しくされることもありません。
学生時代の体育会系の窮屈さがイヤで仕方がなかったわたしでも、稽古にはとても気持ちよく通えました。
なにより、稽古はわたしにとって自分軸を意識するのにとても役に立ったのです!
体を使う稽古なので、技をかけたりかけられりたりします。
柔道のように投げられたりしますから、それは最初のうちは少し怖かったですが、すぐ慣れました。
身体を動かしながら、自分の丹田の感覚、肚(はら)の感覚が出てくるのです。
中心の感覚、自分軸の感覚ともいえます。
ある時、稽古のまっ最中に、ふと
「周囲がわたしになにか不快なことをしかけてきても、自分軸さえしっかりしていれば、誰にもわたしを侵すことはできない」
と感覚的にわかってしまったのです。
稽古を続けたおかげで自分軸についての意識がハッキリとしてきたのでした。
そのおかげもあり、会社員をやめて独立することを決意しました。
「わたしがやりたいことはカウンセリングやコーチングなんだ!」とハッキリ本当の自分の望みを知ることができたのです。
とはいえ、わたしはHSPなので、辞めるまでは「あーでもない、こーでもない」とモヤモヤした時期がありますが、前回のエステの会社を辞めるときよりもスッキリ決断できました。
セラピーサロンを開店【2014年】
2014年にとうとう、世田谷区で念願のセラピーサロンを立ち上げました。
エステティックとボディケア、カウンセリングとヒーリングを融合したサロンです。
お客さまは女性と男性が半々です。
わたしがHSPというものをはじめて知ったのは2017年です。
そしてHSP専門のカウンセリングを始めたのが2019年、
HSPナチュラルガイドという現在の体系にまとめ始めたのが2020年、
そしてオンラインでHSPナチュラルガイドのセッションを提供できるようになったのは2022年のことになります。
エステの会社にいたころは、独立するなんて考えたこともありませんでした。
しかし、数々の仕事や恋愛、お金の苦い経験から、「やりたいことをやろう」という勇気をもらい、独立するという目標をみつけて引き寄せの法則を実践した結果でした。
カラーセラピーに、わたしなりの引き寄せの法則や自分軸づくりの経験を合わせたカウンセリングとヒーリングとセラピーの融合したサービスを提供しました。
セラピー中は不思議なことがよく起こりました。
イメージや言葉がポンとどこからともなく飛んでくるのです。
そのことを伝えると、クライアントさんは涙がワッとあふれて浄化される、ということがよくありました。
このような経験から、見えないものへの信頼感や大いなるものからのメッセージをじょじょに積んでいきました。
求めれば必要なメッセージをくれるんだと思えました。
今思うと「HSPなのによくカウンセリングにチャレンジできたなあ」と思う時があります。
基本的に人に会うのは気を使い過ぎてしまうので疲れるのです。
カウンセリングの仕事では初めて会う人も多く、最初はとても緊張しました。
ですが、ひとたびカウンセリングが始まると集中力が不思議と高まるのと同時に、とてもリラックスしていました。
終わった後もあまり疲れませんので、続けて何人もできるから不思議です。
「カウンセラー業が天職なのかも?」と思えるほどです。
チャレンジしてよかったと思えました。
自分に合うかどうかは、やってみなければわからないものですね。
自分の直観を信頼する
このころからわたしは自分の直観を信頼するようになっていました。
具体的にどう変わったかというと、興味のあることに取り組むようになりました。
以前はなにかにピン!ときても、「お金もかかるし…」「忙しいから…」とすぐに取り組めなかったことが多かったのです。
ワクワクした気持ちが芽生えても、「でも…」と言ってあきらめていました。
しかし、あきらめるのをやめました。
ピン!ときたことを大切にするようにしたのです。
そうすることによって、人生がダイナミックに動き始めたのです。
結婚相手に出逢う【2014年】
道場仲間
会社を辞めたことで、稽古に充てる時間が長くなりました。
自分の好きなことに時間を充てられるっていいですね。
会社員時代は出勤のため午前7時には朝稽古をあがっていました。
退職したことにより、午前8時まで目いっぱい稽古をし、稽古後に道場仲間とドトールやマックで朝食を食べながらスピリチュアルなこと、氣のこと、稽古の事など、いろいろ会話をする時間が出来ました。
そのおしゃべりのメンバーに仙人ふうの将来のだんなさんもいたのです。
将来のだんなさんとなるその男性は、わたしと同じ日に入門したいと道場に来た人でした。
なんと、先日のホリスティック医療のイベント会場にいて、同じセミナーを聴き、わたしと同じように感動してすぐに入門しようと決意したということでした。
作務衣を着ていて仙人のようなひげをたくわえ、気功の体操をしている…。
経営コンサルタントをしているとのことでしたが、一般的に見るようなスーツをバリっと着こなして、シュッとしているような見かけではなく、お腹が大黒様の様に出ていて、ひげをたくわえ、仙人か宗教家のような容貌。
さらに、見ため通りに中身も変人でした。
悪気はないのですが口が悪く、人をいじるのが趣味で、ちょっと苦手なタイプでした。
稽古の時もめんどくさい事ばかりいうので、なんとなく一緒に稽古をするのが嫌でした。
ですが稽古後に話してみると、意外に面白い人だということが分かりました。
スピリチュアルなことをずっと探求していて、真冬の滝行(密教の修行で滝に打たれてマントラを唱える修行)までしていること。
離婚を2回していること。
都内で起業した会社を株式公開の一歩手前までもっていったけれど、組織の管理に失敗して破産したこと。
どん底貧乏時代があったこと。
今もお金がそれほどないから学生もいるシェアハウスに住んでいることなどを、あっけらかんと話してくれるのです。
頭がよく、人生経験豊富で、失敗してもめげない、明るい人だと思いました。
そこからいい友達になっていきました。
ある日、稽古後のドトールで。
稽古仲間で会話しているときに、将来のだんなさんが「自分は63歳で死ぬ予定だ」と言いだしました。
「自分はやりたいことを好き放題、今までやってきた。もうやりたいことが残っていない。だから60歳で地元、北海道の雪山に入ってクマに食われて向こうの世界に旅立つ予定でいる。だけど松村先生(道場の師範)に出逢ったのでそれを3年先に延ばして63歳で旅立つ予定だ。」
そんなことを言ったのです。
当時、だんなさんは57歳。
まわりの人は「またあ~」と笑ってまともに聞いてはいませんでしたが、わたしはなんだかとてもかわいそうに感じました。
とても孤独な人なんだと感じました。
解散した後も気になり、ラインを送りました。
「ひとりで旅立つのはあまりにもさびしいので、大浦さん(だんなさんのこと)が山に入るその時は、わたしがエネルギーで旅立ちを見送ります。」
一人で山に入って旅立つなんて、本当にさびしいことだと思ったから。
おそらくそれがきっかけで、二人の間に潜在意識レベルで、つながりのようなものが芽生え始めたのだと思います。
もう婚活なんて要らない
道場の先生のビジネス関連の事で、5人くらいのチームができた時もだんなさんから誘われました。
わたしの仕事は先生が講演する際のヘアメイク係。
先生は講演する機会が多かったので、わたしは講演先にドライヤーやメイク道具を持って先生の身だしなみを整えました。
その時はいつもだんなさんが近くにいました。
19歳も年上でしたが、スピリチュアルの感性も同じだし、なんにでも感謝して楽しんで暮らすというような考え方も合いました。
そういったことで話す機会もぐっと増えていきました。
わたしはその頃は自分のサロンの仕事に夢中になっていました。
朝活や異業種交流会などもがんばって行くようにしていました。
経営についての勉強や、宣伝活動、スキルを磨くこと、日々の営業などで必死でした。
この間も人生に彩りを添える程度の軽い恋愛はいくつかしましたが、「だれかと結婚したい」なんて1ミリも考えつきませんでした。
起きてから寝るまで、ほぼ仕事づくし。
しかも、やりたいことを始めていたのでわたしはとても満足でした。
やりたいことをやっている充実感。
軌道に乗るよう、はりきっていました。
ですからその頃は「もう結婚しなくてもいい」と考えていました。
「誰かに幸せにしてもらおうと思っていたけど、その必要はない。
わたしがわたしを幸せにする!」
という具合に、結婚にまったく興味がなくなりました。
ですが、その頃、突然わたしにモテ期がやってきたのです。
男性からひんぱんに誘われるようになりました。
仕事以外は相変わらず道場へ稽古に行ったり、本を読んだりして自分を見つめていました。
カウンセリングの仕事はとても充実感がありました。
誰かの癒しのサポートができることにわたしは喜びを感じていました。
愛し愛される関係を手に入れたい
ある時、稽古仲間のスピリチュアリストに「願いをかなえるワーク」を勧められました。
「毎晩眠る前に紙に100個の願いを書き出し、それを続けると願いが叶う」というものでした。
「へえー、おもしろそう!」とさっそくその日の夜から書き始めました。
お風呂上りに紙と鉛筆を用意し気持ちを落ち着けて椅子に座ります。
そして、手あたり次第書きだしていきました。
たとえば、こんな具合です。
・お客さんが予約待ちになる
・ヘルシーできれいな体が手に入る
・両親の病気が全快する
・タワーマンションにセラピールームを開く
・ポルシェに乗る
などなど…。
かなり、欲にまみれた願いもありましたが(笑)、がんばって100個書いてみました。
次の日もまた次の日も書き続けました。
このころは、たまたま、引き寄せの法則も実践していて、なんだかイマイチ現実が引き寄せられないなあとモヤモヤしている時でした。
するとパーツ心理学というセッションを受ける機会があり、本当の自分とその願いを発見することができました。
ほんとうの私が願っているものはというと…。
「愛し愛される関係を手に入れる」というものでした!
ガビーン!
結婚には興味がなかったけれど、「愛し愛される関係」をわたしは望んでいたんだ!と気づいてしまったのですね。
わたしがのぞんでいるものはこれだったのか…。
結婚でもなく、「愛し愛される関係」…。
たしかに思い返すと、心の奥底では寂しかった自分がいたことを思い出しました。
だれかを愛したい。
そして愛されたい。
そのことに気づいてしまいました。
それから100個の願いを書くときに最初に、「愛し愛される関係」と書き入れるようになりました。
毎日書いていくうちに、だんだんと100個も書けなくなっていきました。
「愛し愛される関係」がとても重要で、それ以外はどうでもよくなってきたのでした。
「ポルシェに乗る」なんて、すぐさま消えました。
じょじょに願いがしぼられていきました。
いきなり結婚【2015年】
突然の告白
そんなある日の事、だんなさんから「ジンギスカン食べない?ごちそうするよ」と誘われました。
すでに道場の外でも仲良くなっていたので、わたしは気軽にOKし、出かけていきました。
(ここからは「将来のだんなさん」ではややこしいので「だんなさん」でいきます)
だんなさんは徹夜明けの仕事がやっと終わったので、一睡もしないままのハイテンションの打ち上げのお祝い気分でジンギスカンを食べようと思ったそうです。
かといって誘う人もいないのでわたしを誘おうと思いついたとのこと。
とにかくさみしがり屋なのです。
店はだんなさん行きつけの、大久保駅前の繁華街にある、カウンター席が5、6席くらいの狭くて油まみれの汚いお店。
夕方の早い時間でしたが、わたしたちの他にも若い酔っ払いグループが大音響で騒いでいて、話をするのには、お互い、かなり近づかないと聞こえないほど。
だんなさんは徹夜明けでしたのですぐに酔っぱらってしまっていました。
わたしは夜に仕事の予定があったので、早めに上がることになっていました。
ジンギスカンをお互いにお腹いっぱい食べて「お先に帰ります。ごちそうさまでした。」と、帰ろうとしたとき。
その時、周りの酔っぱらいが大騒ぎしているなかで、だんなさんが突然こう言ったのです。
「恋人にならない?」
もともと、恋愛の雰囲気などふたりともこれまでみじんもない友だちでした。
ところが次の瞬間、わたしは自然に「いいよ」と答えてしまっていました。
その後、カウンター席に座っているだんなさんを背中から優しく抱きしめ、お店を出ました。
後から考えると、よく考えもせず「いいよ」と言ってしまっていたことに気づきました。
ですが、不思議とイヤではありませんでした。
翌日わたしは、沖縄に行くことになっていました。
沖縄でスピリチュアルイベントが行われるのでそれに参加していました。
沖縄の海岸で太陽でキラキラ輝く波を見ながら、昨日のことを考えていました。
「恋人にならない?」
「いいよ」
不思議でした。
無意識に答えてしまっていました。
そんなことを考えていると、だんなさんからラインが届きました。
「昨日ああいったのは、自分は寂しかったんだと思う」
正直な気持ちを聞いて、「キュン」としてしまいました。
二度の離婚で、彼女をもったり結婚などには全く関心のない人でした。
あとで考えてもどうして「恋人にならない?」という言葉が口から出たのか、不思議でならないそうです。
「恋人になる気持ちは変わらない」
そう改めてラインで返しました。
沖縄から戻ると、品川駅までだんなさんが迎えに来てくれました。
それから、まめにだんなさんはわたしの部屋に来るようになりました。
おつきあいゼロでいきなり結婚
それから一か月後、道場の先生のビジネス関連のミーティングをわたしのサロンを会場にして開くことにしました。
その準備をだんなさんと二人でしている際にこんなことを言い出しました。
「ミーティングで婚約したって発表しちゃおうか?」
付き合ってまだ一ヶ月でしたが、「それもいいかな」と不思議と思えたので同意しました。
そして、道場仲間3人と先生に「婚約しました!」と発表。
皆さん大変驚きました!
それはそうです。
だんなさんは変人でバツ2ということは皆さん知っているし、わたしは初婚。
年齢差19歳。
先輩の一人は「また~、僕をだましているんでしょ?」と信じてくれませんでした(笑)
また別の先輩は「アセンションだ!」と叫びました。
結局皆さん、「道場から愛が生まれた」と祝福してくれました。
そして、付き合って1か月で結婚することになったのです。
ほんとうの自分を知り、本心の願いが「愛し愛される関係」だと知ったこと。
「願うワーク」でそれを明確に願ったこと。
さらに引き寄せの法則を使って「愛し愛される関係」にすでに包まれていると感じながら過ごしたこと。
これらによって、だんなさんとの結婚を引き寄せることができました。
わたしの方もだんなさんに引き寄せられてしまいました。
しかし、このときはまだ、「愛し愛される関係」にはいたっていませんでした。
それはそうです。
まだちゃんと、おつきあいしたことがない人なのです。
だんなさんとの「愛し愛される関係」に至るストーリーがここから始まったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。💛さゆりん&のりりんのInstagramへぜひお越しください!
HSPさゆりん&発達障害のりりん@恋愛・結婚の悩みを解決するトリセツ
\発達障害モラハラ男との結婚・恋愛プロファイリングと対策/
▶カサンドラ脱出HSP妻(大浦さゆり)×発達障害夫(大浦のりあき)
▶発達心理学と家族心理学で分析してアドバイス
▶対策は「相手用トリセツ」と「自分用トリセツ」で
▷困ったときは「相談したい」とDMください💕
★毎日お昼に踊りながらこんなリード動画出してます
・発達障害夫は店内で大声で叫んでも平気問題
・発達障害夫にはどうせ言ってもわかってもらえない問題
・発達障害夫は「使った食器が溜まるまで洗わなくていい」と言い張る問題
・発達障害夫が追い込まれてナス畑づくりにやる気になった事件
・発達障害夫は洗濯ものを干しに出たことを忘れる問題
・発達障害夫はかわいいのか憎たらしいのか問題
・男性は結婚したら妻の幸せなんて知らん問題
・発達障害夫の好き勝手あばれホーダイ問題
・「あなたが自分で選んだ人でしょう」ですまされるカサンドラ妻問題etc.